前回に引き続き、「二宮尊徳(二宮 金治郎)」の投稿の続きになります。
本編から二宮尊徳を 二宮 金治郎 と記載させてください。
あと訂正があります。
二宮 金治郎 が、背負っているのは薪ではなくて、柴 (シバ) のようでした。
昔話で「おじいさんは山へシバ刈りに」と出てくるあの柴 (シバ) です。
二宮金次郎が背負っているのは薪ではない?銅像に隠されたメッセージ
https://sunchi.jp/sunchilist/takaoka/92692
申し訳ございません。
タイトルは、以下の諺をもじったものです。
木を見て森を見ず
【意味】 物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うこと。
http://kotowaza-allguide.com/ki/kiwomitemoriwomizu.html
では、造語の解説ですw。
木を見て根を見ず
【意味】 物事の表面的なところに気を取られて、その陰で努力し諦めずに行動し続けていること、苦労してきた背景を見ていないこと。
———————-
樹齢 数十年~ 100年以上の巨大な樹木の根を掘りおこすと、細かく枝分かれをした根があらゆる方向へビッシリと伸びているように、成功している人は、見えないところで愚直に時間をかけて微差を積み重ね、 努力し諦めずに行動し続けていることを意味する。。。
———————-
※あくまでも造語です。
縄文杉
https://www.yakushima-info.com/yakushima/yakusugi/jomonsugi/
例えば、屋久島 縄文杉の写真をみて
“この幹は、すっごい太いな~”とか
“樹齢はどのくらいなのかな”程度で
これだけ大きいいわけですから
長い年月の間、 想像を超える幾多の台風も乗り越えて来たのでしょう。
ただただ、その存在自然の力に感嘆します。
一方で、
その根がどのくらいの大きさで
どのくらい枝分かれして、どれだけ深く根付いているか
考えることは殆どしません。
3,500年もの間、気が遠くなりそうな間
ひたすら少しずつ根を張り巡らし、養分を吸収した結果
このような樹木になったと言えます。
記載していて若干放心状態になりそうですが
以下、前回の投稿の続きとなります。
目に見えていることろに注力するのではなく
見えないことろに目を向けることが大切なのではないでしょうか。
成功するためには、陰で地道に努力を継続することが肝と言えそうです。
やがて、縄文杉のような巨大な樹木となり
その結果、人の目に触れ、注目されることとなるのです。
最後に少々クレージーな視点で申し上げるとするならば
見えないところでコツコツと努力をしているその行動こそが
喜びや幸せとすべきなのかもしれません。
二宮 金治郎のように。
だってやがて、自分の夢が実現するのですから!
■まとめ
- 巨木は、枝分かれをした根があらゆる方向へビッシリと伸びている。
- 私たちは、地上に見えている巨木だけをみて感嘆しているが。その地面には想像も及ばない努力のあとが広がっている。
- 成果は必ず付いてくる。
- 見えない努力を続けられているこの瞬間を喜びは幸せにする。
- 拍手喝采をあびるのは後からでもいいじゃないか。
- 愚直に根を張ることに注力すべし。